[古代から中世まで]
約1万年前、「氷河期」が終わりました。地球が温暖になり、人類は獲物を追って移動する生活から、一箇所に定住して麦を育てる「農業」を始めました。すると、人類史上初めて「食べ物が余る」という現象が起きます。
「誰がどれだけの麦を持っているか」「誰に羊を貸したか」という問題が発生し、記憶と口頭だけでは村の財産を管理しきれなくなりました。
そこで、様々な方法を使って"情報"を取り扱うようになりました。
粘土をこねて小さなトークン(おはじき)を作り、形ごとに「羊」や「麦」に見立てて財産を数える。
→メソポタミア文明
植物の繊維から軽くて薄い「パピルス(紙の祖先)」を作り、法律や命令を書き記して運ぶ。
→古代エジプト
カメの甲羅や竹の板に文字を刻む。のちに「紙」を発明し、記録の手軽さを進化させる。
→古代中国
文字の代わりに、色や長さの違う紐の「結び目の形」で、人口や税金の膨大なデータを完璧に管理する(キープ)。
→インカ帝国
人類はそれぞれの環境に合わせて"情報"を取り扱う方法を多種多様に開発し、アップデートを重ねていきます。
情報を扱うすべを手に入れた人類は、数百万人を支配する巨大な帝国を作り上げます。しかし、国が大きくなるほど「辺境の反乱」や「税金の計算」といった多様な情報を、いち早く首都へ集める必要がでてきました。つまり、情報を伝達する手段が重要になったということです。
ここで人類は、「情報の通り道を物理的に作る」という戦略を考えました。
紀元前5世紀のペルシャ帝国は、全長約2,700kmに及ぶ専用道路を建設し、一定間隔で馬を待機させるリレー方式の郵便網を完成させます。続くローマ帝国も、地中海全域にコンクリートの石畳を張り巡らせました。
「情報が伝わるスピード=馬が走るスピード」。これが、古代の世界を動かすルールとなりました。古代における通信技術と言えます。
しかし、どれだけシステムを洗練させても「物理的な生き物の足の速さ」を超えることはできません。突発的な敵の襲来時、馬の到着を待っていては国が滅びてしまいます。
そこで世界各地で使われたのが「狼煙(のろし)」や「かがり火」です。
丘の上で火を焚き、それを見た次の丘の人間がまた火を焚く。このリレーを使えば、数百キロ先の首都へも瞬時に危機を知らせることができました。
上記の例以外にも、古代から中世にかけ、人類は環境に合わせて多種多様な情報管理法と通信手段を生み出しました。
基本的には 人が走る/馬が走る/鳩が飛ぶ などアナログなものがメインです。この時代が長く続きました。
【15世紀 情報の大量複製の始まり】
その後、15世紀半ばにドイツのグーテンベルクという人物が「活版印刷」を発明します。それまで人間が手書きで書き写していた本や記録が、機械を使って正確かつ大量に印刷できるようになりました。これにより高価だった本が安く流通するようになり、「自ら文字を読みたい」という大衆の識字率の向上も相まって、一部の権力者や聖職者だけのものだった「情報」が一般大衆にも広がりました。
それまでは、一般大衆は生活に必要な最低限の情報を取り扱うことがメインだったのが、これをきっかけに変わったと考えることができます。
しかし、情報の「蓄積と複製」は飛躍的に進歩したものの、遠くへ情報を届ける「通信手段」については、依然として馬や船による物理的な移動のままでした。
そんな中、18世紀末、長く続いたアナログな性質のものとは異なる画期的な通信技術がヨーロッパで登場します。それが「腕木通信」です。
[18世紀末 機械によるネットワークの誕生]
腕木通信は1790年代に登場しました。巨大なアームを使った視覚的な通信システムです。
1.およそ10~15キロメートル(望遠鏡で見える限界の距離)ごとの、見晴らしの良い丘や塔の上に通信所を建てます。
2.塔の屋根には、マストと数本の動く木製アーム(腕木)がついています。通信士が建物の中で滑車やレバーを操作すると、屋根の上のアームが連動して様々な形(数十パターン)に変化します。
3.隣の塔の通信士が、それを望遠鏡で確認し、手元のレバーを動かして自分の塔のアームを「まったく同じ形」にします。これを次々にバケツリレーのように繋いでいきます。
それまでの通信(馬や鳩)は「手紙」という物質を運んでいましたが、腕木通信は「アームの形」を遠くへ見せるだけです。
あらかじめ「この形はアルファベットのA」「この形は『敵が来た』という単語」と決めた暗号帳を用意しておくことで、物理的な移動を一切せずに、複雑な文章を速いスピードで遠方へ届けることができました。
「狼煙(のろし)」や「かがり火」と仕組み的には似ていますが、それらでは実現できなかった複雑な情報のやり取りが、可能になったという整理です。
この腕木通信の誕生には以下のような背景があります。
1.当時のフランスはフランス革命の真っ只中で、周囲の国々から攻め込まれる危機にありました。「国境の戦況を、一刻も早く首都パリに伝えたい」という強い国家的なニーズがあったため、この巨大な機械式ネットワークが国中に張り巡らされました。
2.18世紀半ばにレンズの技術が大きく進歩し、「10km以上先の物体を、歪みなくハッキリ見せる高品質な望遠鏡」が普及し始めたのがこの時代でした。これがなければ、隣の塔のアームの形を正確に読み取ることは不可能でした。
3.18世紀のヨーロッパは、時計や自動人形(からくり)の技術が大きく発展した時代です。強風が吹く屋根の上で、巨大で重い木製アームを「正確な角度」でピタッと止めるには、ただの滑車ではなく、時計職人が培ってきた精巧な歯車やメカニズムの応用が必要不可欠でした。
仕組み的にはシンプルなので、古代から中世の間でも実現できそうです。それがここで初めてできたのは、アップデートされてきた技術や当時の社会的背景が誕生の重要な要素であったということです。
腕木通信が今までのものと性質が違ったポイントは"物理的な移動なしで、複雑な情報のやり取りを可能にした"という点です。
この腕木通信は現代の"情報と通信"の源流と考えることができます。
[19世紀 「電気」と「電波」の通信革命]
腕木通信は"物理的な移動なしで、複雑な情報をやり取りすること"に成功しました。しかし、視覚に頼るシステムである以上、「夜や、霧・大雨の日には見えないから一切使えない」という致命的な弱点がありました。
ちょうど同じ19世紀前半、科学の世界では「電気」という目に見えないエネルギーの研究が進んでいました。
「電気と腕木通信の理屈を組み合わせれば天気や昼夜に左右されずに情報を伝達することができるのではないか?」
このような発想によって生まれたのが、人類初の電気通信である「モールス信号」です。
※サミュエル・モールス
1.モールスは1825年に妻を亡くしており、その際に、手紙の到着が遅すぎたため葬儀にすら間に合わないという経験をしています。
2.モールスは画家でした。画家として1830年にヨーロッパへ渡航しています。その際、フランスで実際に稼働していた腕木通信を見ています。
3.電気の研究が進んでいた当時の環境下で「電磁気学」の話を聞いたときに点と点がつながり電気通信のアイデアをひらめきました。
4.腕木通信のネットワークを完成させたクロード・シャップは腕木通信のシステムを「Telegraph(テレグラフ)」と名付けました。モールスは、モールス信号を組み込んで開発した全体のシステムを「Electric Telegraph(エレクトリック・テレグラフ)」と名付けました。
モールスと腕木通信には直接的な関係があります。
【エレクトリック・テレグラフとモールス信号】
モールスが考案した全体のシステムが「エレクトリック・テレグラフ」で、その中の重要発明が「モールス信号」という整理になります。
1.エレクトリック・テレグラフ
腕木通信は、離れた塔と塔の間を視覚で繋ぐシステムでした。しかし、視覚情報は、夜の闇や霧に簡単に遮られてしまいます。
そこでモールスたちが考案したエレクトリック・テレグラフは、拠点から拠点へ物理的な「金属の線」を張り巡らせるというアプローチをとりました。
当時活発に進んでいた「電気」の研究の理論を応用してシステムに組み込んだということです。
2.モールス信号
電線で拠点間を繋ぐことができても、ただ電気を流すだけでは人間の言葉は伝わりません。そこで作られたのが「モールス信号」という共通のルールです。
腕木通信が「アームの形」で文字を表現したのに対し、モールス信号は、手元のスイッチを押して「短い電気のON(トン)」と「長い電気のON(ツー)」の2種類の組み合わせだけでアルファベットや数字を表現しました。
これは、腕木通信の時の暗号帳を変換したものと考えることができます。
| 腕木通信からのアップデート |
1.設置場所の感覚
腕木通信: 邪魔な障害物があってはいけないため、「周囲より高い場所(丘の上や教会の屋根)」を探して、飛び石のように点と点を結んでいく感覚でした。山があれば、その頂上に塔を建てる必要がありました。
⇩
電気通信: 電線さえ繋がっていれば電気は曲がって進んでくれるため、「地形に沿って線を這わせる」という感覚に変わりました。見晴らしの悪い深い森の中だろうと、谷底だろうと、木を立てて金属の線を引っ掛けていくだけで設置できるようになりました。
2.コストと手間の感覚
腕木通信: 巨大な木製アームを風雨に耐えられるように設置し、通信士が寝泊まりする頑丈な「塔」を10kmごとに建築していくため、費用と労力がかかりました。
⇩
電気通信: 電線と、通信機が物理的に分離しました。屋外に設置するのは「ただの細長い丸太(電信柱)とワイヤー」だけで済みました。これにより、インフラの建設スピードとコストが劇的に下がり、爆発的にネットワークが拡張しやすくなりました。
3.「鉄道」との相性
電線インフラが世界中に張り巡らされた最大の理由は、ちょうど同じ時期に発展し始めていた「鉄道」の線路沿いに設置されたからです。
鉄道会社にとっても運行情報を瞬時に伝える通信網は大きな需要があったため、両者は強い連携を取りました。列車に大量の電信柱とワイヤーを積み込み、線路沿いにどんどん柱を立てて電線を張っていくという、効率的な設置工事が行われました。
つまり、腕木通信で行っていたことをそのままアップデートして洗練した形と考えることができます。
「エレクトリック・テレグラフとモールス信号」は急速に普及し、世界の国々も導入するようになりました。
※モールスが電気通信を発明したほぼ全く同じ時期(1830年代)に、イギリスでもクックとホイートストンという2人の発明家が独自の電気通信システムを開発していました。
「5針式電信機」と言います。イギリス国内ではこれが当初は普及していましたが、コスト面の問題でモールス信号に置き換わっていったという経緯があります。
こうして1850年代には、アメリカ大陸の陸上も、ヨーロッパ大陸の陸上も、それぞれ鉄道網と共に電線でまんべんなく覆い尽くされました。
ここで新たな問題が出てきます。
"陸の上は数秒で情報が伝わるのに、大陸間のやり取りだけは船で2週間かけて手紙を運ぶというアナログ通信になってしまう"問題です。
この問題を含め、ここから、「エレクトリック・テレグラフとモールス信号」は以下のような発展を遂げていきます。
【1.海を越える(海底ケーブル)】
陸上は鉄道沿いに電線が張られましたが、海には柱が立てられません。ヨーロッパとアメリカの間でやり取りするには、依然として「船で数週間かけて手紙を運ぶ」という古代のままのアナログ通信しかありませんでした。
「それでは、電線を防水にして海の底に沈めればいいのではないか?」という発想で、1850〜60年代に大西洋横断海底ケーブルが敷設されます。
これにより数週間かかっていた大陸間の通信が「数分」に縮まりました。人類史上初めて、地球規模のリアルタイムネットワークが完成しました。
【2.専門家から大衆へ(電話と交換機)】
モールス信号は画期的でしたが、「トントンツー」を打ったり翻訳したりするのには「専門の通信士」が必要でした。一般人が直接やり取りすることはできず、また「声の感情」を伝えることもできません。
1870年代、"声の振動を、そのまま電気の波に乗せて送る"という「電話」が発明されます。これにより、一般人が直接、リアルタイムで遠くの人と会話できるようになりました。
※電話の電線はモールス信号の時の電線からアップデートをする必要がありました。全くそのまま流用されたわけではないですが、既存のルートは活かされました。
電話が一般家庭にまで普及すると、「誰と誰の電線を繋ぐか」を切り替える「交換機」が発達します。
拠点で「交換手」と呼ばれる人間が、通話のたびに手作業でケーブルを抜き差しして回線を物理的に繋いでいました。中継地点で人が作業をしているようなイメージです。
【3.物理的な線からの解放(無線の誕生)】
電話の登場で通信は大衆化しましたが、それでも「物理的な電線(ケーブル)が繋がっている場所」でしか通信できないという制約がありました。海を移動している最中の船などは、依然として世界から孤立していました。
この物理的な線の限界を突破したのが、1890年代にマルコーニらが実用化した「無線通信」です。電線ではなく、空間を波として伝わる「電波」を利用することで、この問題を解決しました。
この技術自体は19世紀末に生まれましたが、世界中に爆発的に普及する契機となったのは、20世紀に入ってから起きた「タイタニック号の沈没事故(1912年)」です。
航海中に氷山に衝突した豪華客船タイタニック号は、絶望的な状況の中、搭載されていた無線機を使ってSOSの電波を発信し続けました。その電波をたまたま受信した別の客船(カルパチア号)が急行したことで、結果的に700名以上の命が救われることになったのです。
この救出劇によって、「物理的な線が繋がっていなくても助けを呼べる」という無線技術の価値が世界中で決定づけられ、すべての船への無線搭載が義務付けられるなど、一気に普及していくことになりました。
[20世紀前半〜中頃 情報の数学化とコンピューターの夜明け]
電話が爆発的に普及した結果、「誰と誰を繋ぐか」を切り替える電話局の交換手(人間)が完全にパンクしてしまいました。
人間の手作業の限界を突破するため、電気の力でガチャンと自動でルートを切り替える「自動交換機(無数のON/OFFスイッチの集合体)」が開発されます。
※自動交換機が発明されたのは1890年代(19世紀末)ですが、それが世界中の電話局に本格的に導入され、普及していったのは1910年代〜1920年代(20世紀前半)です。
この電話の自動交換機の「仕組みと部品」を見た当時の数学者や技術者たちは、
「ON/OFFという2つの状態を使えば、数学の計算ができるのではないか?」
と考えました。
この発想から、電話のスイッチと同じ部品を何千個も繋ぎ合わせて、計算を行う巨大な機械が作られました。これがコンピューターへとつながっていきます。
【理論的観点】
・10進法
→
「0〜9までの10個の数字を使い、10集まったら次の桁に繰り上げる」という数学の基本ルールです。
古代から徐々に発達していき、16世紀~19世紀に世界標準のルールになりました。
・2進法
→
「0と1の、2つの数字だけで、すべての数を表現する」という数学のルールです。
17世紀のドイツの数学者/哲学者のゴットフリート・ライプニッツが「0〜9の10進法を使わなくても、0と1だけで無限に数を数えられる」ことを数学的に証明しました。
しかし、彼自身は数学的な実用性ではなく、哲学や神学の視点を重視していました。
実務面でも特に使われることはない概念でした。
| 10進法 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2進法 | 1 |
10 |
11 |
100 |
101 |
110 |
111 |
1000 |
1001 |
1010 |
・ブール代数
普通の数学は、「1+1=2」のように「量」を計算して解くものです。
しかし19世紀に、イギリスの数学者ジョージ・ブールが、言葉の曖昧さをなくし「人間の思考や条件」を数式として表現する新しい数学を作りました。
この数学では、数字の代わりに「条件を満たしている(True=1)」と「条件を満たしていない(False=0)」の2つだけを使います。
そして、足し算や掛け算の代わりに、以下のような「論理の計算ルール」を使います。
AND: 両方の条件が「1」の時だけ、答えが「1」になる。
OR: どちらか一方の条件でも「1(正しい)」なら、答えが「1」になる。
たとえば、「チケットを持っている」AND「列に並んだ」=「入場できる」という日常のルールを、この数学では「1 AND 1 = 1」という数式として計算します。
| 整理 |
・2進法: 0と1だけで「数を数える・計算する」ための数学ルール。
・ブール代数: 0と1だけで「人間の言葉の論理」を表現するための数学ルール。
0と1だけを使用して計算するという共通点がありますが、どちらかがどちらかを意識して誕生したわけではありません。
この2つは交わることのない別々のジャンルの学問でした。
しかし20世紀に入り、この「どちらも0と1だけで構成されている」という共通点が、電話局の「ON/OFF」のスイッチと結びつくことになります。
当時、一般家庭に電灯のスイッチは存在していたためON/OFFという概念が珍しかったわけではありません。
・家のスイッチ: 人間が手で押すだけ。それぞれが独立していて、ただ電気が流れるか止まるかだけ。
・電話局のスイッチ: 人間が手で押すのではなく、「もし〜なら、繋ぐ」といった条件に合わせて、無数のスイッチ同士が勝手に連動して動く仕組み。
この電話局の「条件で連動する仕組み」を見た技術者たちが、「0と1の数学的理論をそのまま物理的に適用できるのではないか」と着想を得た、という流れになります。
こうして誕生した巨大な計算機は、当初は主に「数字の計算(弾道の計算や暗号解読など)」に使われていました。
しかし1948年、アメリカの数学者クロード・シャノンが、大きな発表をします。
「あらかじめルールさえ決めておけば、数字だけでなく、文字も、音声も、画像も、すべての情報は『0と1の組み合わせ』だけで表現できる」
ということを数学的に証明しました(情報理論)。
これにより、通信やデータの世界に「ビット(bit)」という新しい単位が誕生しました。
シャノンのこの発見によって、計算機はただの「計算ツール」から、あらゆるデータを0と1で処理できる「万能の情報処理マシン(現代のコンピューター)」へと進化していくことになります。
※クロード・シャノン
ビットの概念を提唱したのがクロードシャノンでしたが、前述の計算機の誕生にも関係しています。
・計算機の基礎の証明(1937年)
「電話局のスイッチのON/OFFと、ブール代数の論理が完全に一致する」という事実を数学的に証明したのは、大学院生だったシャノンでした。彼の論文によって、職人のカンに頼っていた機械作りが「数学的な設計」へと変わり、巨大な計算機を生み出すための土台が完成しました。
・ビットの誕生(1948年)
その約10年後、彼は「情報理論」を発表し、「すべての情報を0と1(ビット)で表現できる」と証明しました。
つまり、現在のコンピューターを動かしている「0と1の物理的な回路(ハードウェアの基礎)」も、そこで処理されている「0と1のデータ(ソフトウェアの基礎)」も、シャノンの論文が関係しています。
※さらに補足 ジョージ・スティビッツ
電話会社の現場技術者だったジョージ・スティビッツは会社のゴミ捨て場(スクラップ置き場)から、廃棄された電話交換機の部品を自宅に持ち帰り、簡易的な計算機を作成しています。
これは、クロード・シャノンが「電話のスイッチで論理計算ができる」という論文を発表したのと、同じ1937年の出来事でした。
「技術が熟すと、全く別の場所にいる人物が、同じことを思いつく」という現象がよく起こります。
[20世紀後半:インターネットと光回線]
電話局のスイッチから誕生した計算機は、以下のようなアップデートを重ねていきます。
1.リレー(継電器)の時代: 物理的なスイッチ
初期の計算機は、電話局で使われていた「リレー」という部品を使っていました。
これは、電気が流れると磁石の力で金属の板が「カチャッ」と動いて線が繋がり(ON=1)、電気が止まると板が離れる(OFF=0)という仕組みです。
金属の板が物理的に動くため、「カチャ、カチャ」と動くスピードに限界(1秒間に数十回程度)がありました。
2.真空管の時代(1940年代〜): 電子のスイッチ
「もっと速く計算(ON/OFFの切り替え)をしたい」という要求から、リレーの代わりに「真空管」が使われるようになりました。
電球のようなガラス管の中で、電気(電子)の流れをコントロールしてON/OFFを切り替える部品です。
金属の板がカチャカチャ動く物理的な動作がなくなり、「電子の流れだけ」でスイッチを切り替えられるようになりました。これにより、スイッチの切り替えスピードが数千倍に跳ね上がりました。
しかし、大量に電気を使い、猛烈な熱を発し、すぐ球切れして壊れるという問題がありました。
3.トランジスタの時代(1950年代後半〜): 魔法の石
真空管の弱点をすべて克服したのが、1947年に発明された「トランジスタ(半導体)」です。
仕組みとしては真空管と全く同じ「電子のスイッチ(0と1の切り替え)」ですが、真空管のように熱くならず、圧倒的に小さく、消費電力も少なく、壊れないという魔法のような部品でした。
4.現代のIC(集積回路)へ
1960年代以降、この小さなトランジスタを、さらに顕微鏡レベルまで小さくして、1枚の小さなシリコンの板(チップ)の上に何千、何万、何十億個と詰め込んだのが「IC(集積回路)」や「CPU」です。
この流れを見ると、「スイッチのON/OFF(0と1)」であるという根本的な仕組みは共通しており、『いかに早く切り替えるか/スイッチを小さくできるか』にフォーカスしてアップデートしてきたことが分かります。
※コンピューターという言葉の起源
もともと「コンピューター」とは機械のことではなく、「人間の職業名(計算手)」でした。
「Compute(計算する)」に「-er(〜する人)」をつけたもので、「計算を職業とする人間」のことを指していました。
大砲の弾道の計算や暗号解読など、複雑な数式をひたすら手計算で解く数学者や事務員たちの役職名が「コンピューターさん」だったのです。
1940年代に登場した巨大な機械が、それらの仕事をそのまま代替したため、役職名ごと「コンピューター」と呼ばれるようになりました。
【既存の「電話システム」との衝突とインターネットの誕生】
このように進化を遂げたコンピューターですが、ここまでは、1台で独立して動いていました。
ここから、「離れた場所にある別のコンピューターとデータをやり取りする」という機能のアップデートを試みます。
そこで、すでに世界中に張り巡らされていた既存のインフラである「電話の線」をそのまま流用して、コンピューター同士を繋ごうとしました。
しかし、ここで大きな問題が発生します。
既存の電話システムは、あくまで「人間の会話」のために作られた仕組み(回線交換方式)だったからです。
人間の電話(回線交換): AさんとBさんが話すとき、電話局のスイッチが働き、2人のためだけの「1本の専用線」をガチャンと繋ぎっぱなしにします。人間は沈黙している時間も含めて、なだらかに言葉を交わし続けるため、この仕組みが最適でした。
コンピューターの通信: 普段は何も送らないのに、送るときだけ「一瞬で大量の0と1(ビット)をドバッと送る(バースト性)」という特性があります。
この全く異なる性質のものを無理やり繋いだ結果、コンピューターがデータを送っている間、電話の回線が完全に占有されてパンクしてしまいました。
さらに、この仕組みでは、繋がっている電線の「どこか1箇所」でも物理的に切れてしまうと、その時点で通信全体が遮断され、送っていたデータもすべて壊れてしまうという致命的な弱点もありました。⇩※補足
| 人間とコンピューターの違い |
人間の会話の場合:
もし電話中に回線が切れても、もう一度電話をかけ直して「ごめん、切れちゃった。さっきの話の続きだけど…」と言えば、人間が文脈を補完してすぐに会話を再開できます。
コンピューターのデータの場合:
画像やプログラムのデータは、「意味を持った0と1の完璧な並び順」で構成されています。例えば、1時間のデータを送っている最中に、残り1分のところで回線がプツッと切れたとします。
受け取った側のコンピューターには「99%分の0と1の羅列」が残りますが、コンピューターは人間のように「さっきの続きから」と空気を読むことができません。不完全なデータは「ただの壊れた意味不明なファイル」として処理され、また最初(0%)から全てのデータを送り直さなければなりません。
| 中央集権型の弱点と冷戦という背景 |
当時の電話網は、各家庭や拠点の線が「巨大な電話局(交換局)」という中央のハブに集まる、中央集権型のネットワークでした。
・ミサイルが首都の『巨大な電話局』に1発でも落ちたらどうなるか
→その電話局を経由するすべての専用線が機能しなくなり、国中のコンピューター通信が麻痺する。
これを防ぐために、中央のハブをなくし、拠点同士を網目状に繋ぐ「クモの巣状のネットワーク(物理的な道)」が考えられました。
しかし、いくら網目状の道を作っても、「1本の専用線を繋ぎっぱなしにする」という旧来のルールのままでは、通信中に専用線が破壊されれば通信は途切れてしまいます。
「物理的なクモの巣の道」を活かすためには、道が途切れても自動で迂回して進み続けることができる「新しいソフトウェアのルール」が必要でした。
つまり、物理面とルール面の両方でアップデートが必要でした。
「人間のための電話の仕組み」のままでは、コンピューター同士の通信を支えることはできません。
これを解決するために生まれたのが、新しい通信のルール、「パケット通信」です。
【ソフトウェアの革命:パケット通信】
1960年代、「仮にどこか一部の回線が破壊されても、自動で迂回して目的地に届く、絶対に止まらないクモの巣状のネットワーク」の開発が始まりました。
この開発において、「データはすべて0と1の数字の羅列である」が重要なポイントとなってきます。
数字の羅列であるならば、わざわざ1本の長いデータをそのまま送る必要はありません。
大きな画像や文書のデータ(0と1)を、細かく切り刻んで小さな小包(パケット)に分割してしまえばいい、という逆転の発想が生まれました。
切り刻まれた無数の小包(パケット)の先頭には、「これは〇番目の小包」「目的地は〇〇」という宛名ラベル(これも0と1)が貼られます。
この小包たちをネットワークに放り込むと、それぞれの小包はクモの巣のような通信網の「その時空いている別々のルート」をバラバラに進んでいきます。
そして、目的地のコンピューターにすべての小包が到着したとき、受け取った側が宛名ラベルの番号順にパズルのように組み立て直すことで、元の正確なデータへと復元されます。
つまり、バラバラに送り届け、受信した先で再構成しているようなイメージです。
「回線を繋ぎっぱなしにする」のをやめ、「データをバラバラの小包にして送り、到着後に再構成する」。
このパケット通信の発明により、旧来の電話網が抱えていた弱点は克服されました。
・中央集権型の弱点克服: どこか1本の回線が破壊されても、小包たちは勝手に別のルートを迂回して確実に目的地へ届きます。
・データ通信の弱点克服: もし途中で小包が1つ壊れたり迷子になったりしても、「7番の小包だけもう一度送って」と要求でき、重いデータを最初からすべて送り直す必要がなくなりました。
※補足
パケット通信が適用されたのは「コンピューターのデータ通信」だけでした。
人間が電話をする電話回線については、従来の中央集権型(すべての線が中央の電話局に集まる)、回線交換方式(通話が終わるまで専用線を貸し切る)がそのまま使用されました。
【ハードウェアの革命:光ファイバー】
パケット通信という「ソフトウェア(ルール)」の仕組みが整うと、今度は「世界中を行き交う膨大な0と1の小包を、どうやって物理的に速く、大量に運ぶか」という「ハードウェア(インフラ)」の問題に直面します。
それまでは、モールス信号の時代から続く「金属の電線を流れる電気のON/OFF」に頼っていました。しかし、世界中のコンピューターが送り出す天文学的なデータ量を運ぶには、銅線では物理的な限界を迎えていました。
そこで1970年代以降に登場したのが、「電気」を「光」に置き換える技術、「光ファイバー」です。
かつてモールス信号は「手元のスイッチで電気を流す(ON)か止める(OFF)」でした。
その後発展していった電話局の自動交換機やコンピューターも「スイッチがONかOFFか」でした。
光ファイバーは、この仕組みをそのまま「光が点滅している(ON=1)」「真っ暗(OFF=0)」という、光のスイッチに置き換えたものです。
髪の毛よりも細いガラスの繊維(光ファイバー)の中で、レーザー光線を1秒間に何億回という超高スピードで点滅させることで、0と1の信号をそのまま送ります。
この光ファイバーを束ねた太いケーブルが、現在、海底ケーブルとして地球上のすべての大陸を繋ぐ「物理的な大動脈」として張り巡らされています。
コンピューターがリレー⇒真空管⇒トランジスタ⇒集積回路とアップデートしたのと同じ考え方を、設備に応用したようなイメージで捉えると分かりやすいです。
共通しているのは「コアの仕組みは変えずに、洗練させていった」という点です。
パケット通信というデジタルなルールと、光ファイバーという物理的なインフラが合体したことで、人類は「光の速さで、地球の裏側まで一瞬で0と1のデータを届ける地球規模のネットワーク」を完成させました。
【情報のリンクと蓄積:WWW(ウェブ)の誕生】
パケット通信と光ファイバーによって、地球規模で0と1をやり取りする「情報の道路網」は完成しました。しかし、1980年代までのインターネットは、一部の大学や軍事機関の研究者たちがデータを送り合うための、専門的で閉ざされた世界でした。
この状況を一変させたのが、1990年代に誕生した「World Wide Web(WWW)」という仕組みです。(ソフトウェアのルール)
| WWWを構成する具体的な仕組みの例 |
1.文書の書き方(HTML)
WWWで公開するための形式、及び、指示を書き込むための専用の言語です。
「ここは見出し」「ここに画像を貼る」「この単語に別のページへの『リンク』を埋め込む」といった装飾を施すことができます。
WebサイトはすべてHTMLで構成されるというのが大原則です。
2.データの住所(URL)
「https://www.〇〇.com/〜」という文字列です。リンクをクリックしたときに、地球上のどのコンピューターの、どの階層にあるデータを呼び出せばいいのかを指定するための住所の仕組みです。
3.やり取りのルール(HTTP)
ユーザーがリンクをクリックした瞬間、ユーザーのスマホが「その住所にある文書をください」と要求し、相手のコンピューターが「はい、どうぞ」とその文書データを送り返すための、通信のルールです。URLの先頭についている「http」はこれを指しています。
| インターネットとWWWの違い(イメージ) |
インターネット(光ファイバーとパケット通信):
地球上に敷かれた「道路」と、そこを走る「トラック」です。
WWW(ウェブ):
その道路の脇に建てられた「お店(ウェブサイト)」と、お店から別のお店へ一瞬で移動できる「ワープ扉(リンク)」の仕組みです。
1980年代までのインターネットは、「道路」はあるものの、相手のコンピューターのIPアドレス(住所のようなもの)を直接打ち込んで、ファイルを1つずつ転送するような、専門家だけの閉ざされた世界でした。
そして、1990年代、WWWという「文字を装飾して、リンクで他の文書にジャンプできる仕組み」が発明されました。
※日本語訳
Web=クモの巣
World Wide Web=世界中に広がるクモの巣
「World Wide Web」を略してWWW(ダブリュー・ダブリュー・ダブリュー)と呼びます。
しかし、これだと長く発音もしづらいので、WWWと記載して「ウェブ」と読んだり、最後の単語を持ち出してWeb(ウェブ)とすることが一般的です。
Webの最大の発明は、文字や画像に「リンク」を埋め込めるようにしたことです。ある文書の中の単語をクリックすると、地球の裏側にある別のコンピューターに保存された関連文書に一瞬でジャンプできる。この仕組みによって、世界中のバラバラな情報が「クモの巣」のように結びつき始めました。
この仕組みを利用して情報を公開する場所がWebサイトです。
これにより、専門家だけでなく、世界中の一般企業や個人までもが、自らの知識、日常の記録、創作物などをデジタル化し、インターネットの海に放り込んで公開するようになりました。
インフラ(光ファイバー)の上に、誰もが簡単に情報を繋ぎ合わせられる仕組み(Web)が乗ったことで、インターネットは一部の専門家のツールから「人類の共有財産」へとアップデートしました。
[21世紀:個人への普及、モバイル回線とワイヤレス化]
【光回線の普及】
Webサイトが普及し、誰もがインターネットに参加するようになると、「高画質な写真」や「動画」といった大きなデータ(0と1の小包)が大量にやり取りされるようになります。
「光ファイバー」というインフラ自体は、1980年代の時点ですでに地球規模で完全に実用化されていました。しかし当時は都市と都市を結ぶ大動脈にしか使われておらず、一般家庭への通信は昔ながらの細い銅線(電話線)でした。
それが2000年代に入り、個人の扱うデータ量が増え、銅線では渋滞してしまう限界が訪れました。これを解決するため、光ファイバーが個人の家のルーターにまで直接引き込まれるようになります。これが、現在私たちが利用している「光回線」です。
1.1990年代後半:電話線の時代(ISDN)
Webサイトが誕生したばかりの頃です。当時のデータは「文字」と「粗い画像」くらいだったため、昔ながらの細い銅線(電話線)で接続する通信で十分間に合っていました。
2.2000年代前半:銅線の限界(ADSL)
個人のネット利用が当たり前になり、「もっと速くしたい」「時間を気にせず繋ぎっぱなしにしたい(常時接続)」という需要が爆発しました。
しかし、全国の家に光ファイバーを引くのはまだコストが高すぎました。そこで、「今ある電話線(銅線)に、人間の耳には聞こえない高い周波数の信号を無理やり流し込んで、擬似的に高速化する」という力技の技術が普及しました。これが「ADSL」です。
3.2000年代後半〜:光回線の普及(FTTH)
2005年に「YouTube」が誕生したことが決定的なターニングポイントになります。
動画という巨大なデータ(小包の山)が飛び交うようになり、ついにADSL(限界まで頑張った銅線)でも頻繁に動画が止まるなどのパンク状態を迎えました。ここでついに、コストをかけてでも光ファイバーを個人の家まで直接引き込む工事が一般化し、「光回線」が普及していきました。
※補足:それぞれの用語と技術
・ISDN=Integrated Services Digital Network(統合サービスデジタル通信網)
→
ISDNが登場する前の「ダイヤルアップ接続」は、コンピューターのデジタル信号をわざわざ「音声」に変換してアナログの電話線に流していました。電話かインターネットのどちらか片方しか通行できなかったため、ネット中は家の電話が話し中になってしまうという致命的な弱点がありました。
ISDNは、銅線の設備はそのままに、信号をデジタルのまま送受信できるようにした技術です。これにより、「インターネットでウェブサイトを見ながら、同時に家の電話で通話する」という、当時としては画期的な並行作業ができるようになりました。
・ADSL=Asymmetric Digital Subscriber Line(非対称デジタル加入者線)
→
電話で話すときは、人間の声の「低い音域(低周波数)」しか使っておらず、電話線が通すことのできる「高い音域(高周波数)」の帯域はガラ空きでした。ADSLは、この「人間の耳には聞こえないガラ空きの音域」に、大量のインターネットのデータを流し込むという手法をとりました。
さらに、ADSLの「Asymmetric(非対称)」という名前が示す通り、アップロード(上り)の通信枠を抑え、その余分をダウンロード(下り)のスピードに回しました。一般の人はWebサイトを「見る(ダウンロードする)」ことが圧倒的に多いため、この仕様が完全にマッチしたのです。しかしながら、要するに、既存のシステムを使った苦肉の策と考えることもできます。
・FTTH=Fiber To The Home(家庭までの光ファイバー引き込み)
→
意味はよりダイレクトで、裏側で使用していた光ファイバーを家庭まで伸ばしたということです。技術的にはもっと早く普及させたかったはずですが、全国のインフラを物理的に入れ替えるコスト面のハードルがあったため、ADSLというクッションを挟まざるを得なかったのではないかと考えます。
【モバイル通信の進化とインフラの融合】
家の中の回線が強化される一方、外に持ち出せる通信手段も劇的な進化を遂げます。20世紀末に誕生した携帯電話のネットワーク(1G)は、3G、4G、5Gと進化し、ついに「動画を外でスムーズに見られる」レベルにまで到達しました。
モバイル通信の歴史は、おおよそ10年ごとに大きな技術革新が起きており、その世代(Generation)の頭文字をとって「G」と呼ばれています。
| モバイル回線(1G〜5G)の進化の歴史 |
モバイル回線の歴史は、最初はインターネットとは無関係な「単なる持ち運べる電話」としてスタートし、後からインターネット(データ通信)と合流していきました。
・1G(1980年代):アナログの時代
インターネットとは無関係な、「声」をそのまま電波に乗せて届ける技術として誕生しました。
実は「電波で声を飛ばす」こと自体は、軍用の無線機などで昔からできていました。1Gは、その無線の電波を街角のアンテナでキャッチし、「既存の固定電話のネットワーク(銅線)」に直接繋ぎ合わせました。
"Aさんの携帯---電波---固定電話の銅線---電波---Bさんの携帯"
ただし、空間に電波を飛ばすには大きな電力が必要だったため、当時の携帯電話は巨大なバッテリーを積んだ「肩掛けカバンサイズ」にならざるを得ず、一部のビジネスマンしか持てない高級品でした。1Gでは電話機能のみです。
・2G(1990年代):デジタル化とメールの誕生
音声を0と1のデジタルデータに変換して送るようになり、通信の無駄が減って端末が小型化しました。ここで初めて「文字(メール)」や「簡単なWebサイト(iモードなど)」が外で見られるようになり、持ち運べる電話がインターネットの世界と繋がり始めました。
"音声もデータもビット化して通信した"ということです。
・3G(2000年代):世界基準と画像の時代
世界中で通信規格が統一され、通信速度もアップしました。携帯電話にカメラがつき、「写真(画像)」をメールに添付して送れるようになったほか、初期のスマートフォンの土台にもなりました。
日本では2001年に始まり、2000年代後半にかけてスマホ黎明期を支えました。
・4G / LTE(2010年代):スマホ社会の完成
通信速度が飛躍的に上がり、「動画を外でスムーズに見られる」レベルに到達しました。
2010年代前半に普及し、動画視聴やSNSが当たり前になりました。
・5G(2020年代〜):あらゆるモノが繋がる時代
「超高速」「多数同時接続」「超低遅延」を特徴とし、人間だけでなく、自動運転の車や工場のロボット、家電など「あらゆるモノ」が同時にインターネットに繋がる(IoT)ための次世代インフラです。
2020年から商用サービスが開始され、現在はIoTの基盤として定着しつつあります。
※3G~5Gの進化はいかに大容量に/早く通信することができるか、という方針でのアップデートと考えると分かりやすいです。
| 移動しても途切れないセルラー方式 |
携帯電話が世界中に普及した背景には、「セルラー方式」という画期的なアイデアがありました。英語で携帯電話を「Cell phone(セルフォン)」と呼ぶのはこれに由来します。
昔の無線通信は、巨大な鉄塔から強力な電波を遠くまで飛ばしていましたが、これではすぐに電波が混線してしまうという問題がありました。
そこで、街全体を「小さな六角形のエリア(Cell=細胞)」に分割し、それぞれのエリアに小さなアンテナ(基地局)を置くことにしました。ユーザーが移動すると、スマホが自動的に「隣のアンテナ」へとバトンタッチしていくため、電波が混線することなく、どこまでも途切れずに通信できるようになったのです。
つまり、中継地点を作ったようなイメージです。
| 電波と有線(光)のハイブリッド |
スマホから飛んだ電波は「最寄りの小さなアンテナ(基地局)」までしか飛んでいません。
そこから先は、地下や海底に張り巡らされた「光ファイバー(有線)」に合流して、地球の裏側まで運ばれています。空間を飛ぶ「電波」は混雑しやすいため、長距離の大量輸送には裏側の光回線のネットワークが必要になります。
1Gの時と基本構造は同じで、これを洗練してアップデートしていったのが現代のモバイル通信の形と言えます。
"Aさんの携帯---電波---光通信網---電波---Bさんの携帯"
※補足:Wi-Fiとモバイル通信(4G/5G)の違い
・Wi-Fi:有線で引き込んだ通信回線とルーターを接続して、ルーターから限られた範囲内で電波として飛ばす。
・モバイル通信:スマホと最寄りの基地局が電波で通信する。
[人工知能へ]
ここまでのインフラの完成により、人類は「誰もが世界中の情報に常時接続できる端末をポケットに入れて持ち歩く」というフェーズへ到達しました。
世界中の人々が毎日ウェブサイトを更新し、検索し、リンクを辿ることで、ネットワーク上には膨大な量の人間の言語や思考パターン(0と1のデータ)が蓄積されていくことになります。
これがAIが知能を獲得するための「学習データの海」となっていきました。
【インフラがなければ、AIは生まれなかった】
ここで重要なのは、どれだけ優秀なAIのプログラムを作っても、読み込ませる膨大なデータ(ネット上の文章や画像)がなければ、AIはただの空っぽの箱に過ぎないということです。
・地球の裏側まで一瞬でデータを運ぶ「光ファイバー」
・世界中の情報を整理し、誰でも見られるようにした「WWW(ウェブ)」
・24時間データを生み出し続ける「モバイル通信とスマホ」
など
古代からの"情報と通信技術のアップデートの連なり"が現代のAI開発へとつながっていきます。
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# 〇3. 情報と通信技術の遷移
# [古代から中世まで]
約1万年前、「氷河期」が終わりました。地球が温暖になり、人類は獲物を追って移動する生活から、一箇所に定住して麦を育てる「農業」を始めました。すると、人類史上初めて「食べ物が余る」という現象が起きます。
「誰がどれだけの麦を持っているか」「誰に羊を貸したか」という問題が発生し、記憶と口頭だけでは村の財産を管理しきれなくなりました。
そこで、様々な方法を使って"情報"を取り扱うようになりました。
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粘土をこねて小さなトークン(おはじき)を作り、形ごとに「羊」や「麦」に見立てて財産を数える。
→メソポタミア文明
植物の繊維から軽くて薄い「パピルス(紙の祖先)」を作り、法律や命令を書き記して運ぶ。
→古代エジプト
カメの甲羅や竹の板に文字を刻む。のちに「紙」を発明し、記録の手軽さを進化させる。
→古代中国
文字の代わりに、色や長さの違う紐の「結び目の形」で、人口や税金の膨大なデータを完璧に管理する(キープ)。
→インカ帝国
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人類はそれぞれの環境に合わせて"情報"を取り扱う方法を多種多様に開発し、アップデートを重ねていきます。
情報を扱うすべを手に入れた人類は、数百万人を支配する巨大な帝国を作り上げます。しかし、国が大きくなるほど「辺境の反乱」や「税金の計算」といった多様な情報を、いち早く首都へ集める必要がでてきました。つまり、情報を伝達する手段が重要になったということです。
ここで人類は、「情報の通り道を物理的に作る」という戦略を考えました。
紀元前5世紀のペルシャ帝国は、全長約2,700kmに及ぶ専用道路を建設し、一定間隔で馬を待機させるリレー方式の郵便網を完成させます。続くローマ帝国も、地中海全域にコンクリートの石畳を張り巡らせました。
「情報が伝わるスピード=馬が走るスピード」。これが、古代の世界を動かすルールとなりました。古代における通信技術と言えます。
しかし、どれだけシステムを洗練させても「物理的な生き物の足の速さ」を超えることはできません。突発的な敵の襲来時、馬の到着を待っていては国が滅びてしまいます。
そこで世界各地で使われたのが「狼煙(のろし)」や「かがり火」です。
丘の上で火を焚き、それを見た次の丘の人間がまた火を焚く。このリレーを使えば、数百キロ先の首都へも瞬時に危機を知らせることができました。
上記の例以外にも、古代から中世にかけ、人類は環境に合わせて多種多様な情報管理法と通信手段を生み出しました。
基本的には 人が走る/馬が走る/鳩が飛ぶ などアナログなものがメインです。この時代が長く続きました。
## 【15世紀 情報の大量複製の始まり】
その後、15世紀半ばにドイツのグーテンベルクという人物が「活版印刷」を発明します。それまで人間が手書きで書き写していた本や記録が、機械を使って正確かつ大量に印刷できるようになりました。これにより高価だった本が安く流通するようになり、「自ら文字を読みたい」という大衆の識字率の向上も相まって、一部の権力者や聖職者だけのものだった「情報」が一般大衆にも広がりました。
それまでは、一般大衆は生活に必要な最低限の情報を取り扱うことがメインだったのが、これをきっかけに変わったと考えることができます。
しかし、情報の「蓄積と複製」は飛躍的に進歩したものの、遠くへ情報を届ける「通信手段」については、依然として馬や船による物理的な移動のままでした。
そんな中、18世紀末、長く続いたアナログな性質のものとは異なる画期的な通信技術がヨーロッパで登場します。それが「腕木通信」です。
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# [18世紀末 機械によるネットワークの誕生]
腕木通信は1790年代に登場しました。巨大なアームを使った視覚的な通信システムです。
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1.およそ10~15キロメートル(望遠鏡で見える限界の距離)ごとの、見晴らしの良い丘や塔の上に通信所を建てます。
2.塔の屋根には、マストと数本の動く木製アーム(腕木)がついています。通信士が建物の中で滑車やレバーを操作すると、屋根の上のアームが連動して様々な形(数十パターン)に変化します。
3.隣の塔の通信士が、それを望遠鏡で確認し、手元のレバーを動かして自分の塔のアームを「まったく同じ形」にします。これを次々にバケツリレーのように繋いでいきます。
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それまでの通信(馬や鳩)は「手紙」という物質を運んでいましたが、腕木通信は「アームの形」を遠くへ見せるだけです。
あらかじめ「この形はアルファベットのA」「この形は『敵が来た』という単語」と決めた暗号帳を用意しておくことで、物理的な移動を一切せずに、複雑な文章を速いスピードで遠方へ届けることができました。
「狼煙(のろし)」や「かがり火」と仕組み的には似ていますが、それらでは実現できなかった複雑な情報のやり取りが、可能になったという整理です。
この腕木通信の誕生には以下のような背景があります。
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1.当時のフランスはフランス革命の真っ只中で、周囲の国々から攻め込まれる危機にありました。「国境の戦況を、一刻も早く首都パリに伝えたい」という強い国家的なニーズがあったため、この巨大な機械式ネットワークが国中に張り巡らされました。
2.18世紀半ばにレンズの技術が大きく進歩し、「10km以上先の物体を、歪みなくハッキリ見せる高品質な望遠鏡」が普及し始めたのがこの時代でした。これがなければ、隣の塔のアームの形を正確に読み取ることは不可能でした。
3.18世紀のヨーロッパは、時計や自動人形(からくり)の技術が大きく発展した時代です。強風が吹く屋根の上で、巨大で重い木製アームを「正確な角度」でピタッと止めるには、ただの滑車ではなく、時計職人が培ってきた精巧な歯車やメカニズムの応用が必要不可欠でした。
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仕組み的にはシンプルなので、古代から中世の間でも実現できそうです。それがここで初めてできたのは、アップデートされてきた技術や当時の社会的背景が誕生の重要な要素であったということです。
腕木通信が今までのものと性質が違ったポイントは"物理的な移動なしで、複雑な情報のやり取りを可能にした"という点です。
この腕木通信は現代の"情報と通信"の源流と考えることができます。
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# [19世紀 「電気」と「電波」の通信革命]
腕木通信は"物理的な移動なしで、複雑な情報をやり取りすること"に成功しました。しかし、視覚に頼るシステムである以上、「夜や、霧・大雨の日には見えないから一切使えない」という致命的な弱点がありました。
ちょうど同じ19世紀前半、科学の世界では「電気」という目に見えないエネルギーの研究が進んでいました。
「電気と腕木通信の理屈を組み合わせれば天気や昼夜に左右されずに情報を伝達することができるのではないか?」
このような発想によって生まれたのが、人類初の電気通信である「モールス信号」です。
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#### ※サミュエル・モールス
1.モールスは1825年に妻を亡くしており、その際に、手紙の到着が遅すぎたため葬儀にすら間に合わないという経験をしています。
2.モールスは画家でした。画家として1830年にヨーロッパへ渡航しています。その際、フランスで実際に稼働していた腕木通信を見ています。
3.電気の研究が進んでいた当時の環境下で「電磁気学」の話を聞いたときに点と点がつながり電気通信のアイデアをひらめきました。
4.腕木通信のネットワークを完成させたクロード・シャップは腕木通信のシステムを「Telegraph(テレグラフ)」と名付けました。モールスは、モールス信号を組み込んで開発した全体のシステムを「Electric Telegraph(エレクトリック・テレグラフ)」と名付けました。
モールスと腕木通信には直接的な関係があります。
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## 【エレクトリック・テレグラフとモールス信号】
モールスが考案した全体のシステムが「エレクトリック・テレグラフ」で、その中の重要発明が「モールス信号」という整理になります。
1.エレクトリック・テレグラフ
腕木通信は、離れた塔と塔の間を視覚で繋ぐシステムでした。しかし、視覚情報は、夜の闇や霧に簡単に遮られてしまいます。
そこでモールスたちが考案したエレクトリック・テレグラフは、拠点から拠点へ物理的な「金属の線」を張り巡らせるというアプローチをとりました。
当時活発に進んでいた「電気」の研究の理論を応用してシステムに組み込んだということです。
2.モールス信号
電線で拠点間を繋ぐことができても、ただ電気を流すだけでは人間の言葉は伝わりません。そこで作られたのが「モールス信号」という共通のルールです。
腕木通信が「アームの形」で文字を表現したのに対し、モールス信号は、手元のスイッチを押して「短い電気のON(トン)」と「長い電気のON(ツー)」の2種類の組み合わせだけでアルファベットや数字を表現しました。
これは、腕木通信の時の暗号帳を変換したものと考えることができます。
### | 腕木通信からのアップデート |
1.設置場所の感覚
腕木通信: 邪魔な障害物があってはいけないため、「周囲より高い場所(丘の上や教会の屋根)」を探して、飛び石のように点と点を結んでいく感覚でした。山があれば、その頂上に塔を建てる必要がありました。
⇩
電気通信: 電線さえ繋がっていれば電気は曲がって進んでくれるため、「地形に沿って線を這わせる」という感覚に変わりました。見晴らしの悪い深い森の中だろうと、谷底だろうと、木を立てて金属の線を引っ掛けていくだけで設置できるようになりました。
2.コストと手間の感覚
腕木通信: 巨大な木製アームを風雨に耐えられるように設置し、通信士が寝泊まりする頑丈な「塔」を10kmごとに建築していくため、費用と労力がかかりました。
⇩
電気通信: 電線と、通信機が物理的に分離しました。屋外に設置するのは「ただの細長い丸太(電信柱)とワイヤー」だけで済みました。これにより、インフラの建設スピードとコストが劇的に下がり、爆発的にネットワークが拡張しやすくなりました。
3.「鉄道」との相性
電線インフラが世界中に張り巡らされた最大の理由は、ちょうど同じ時期に発展し始めていた「鉄道」の線路沿いに設置されたからです。
鉄道会社にとっても運行情報を瞬時に伝える通信網は大きな需要があったため、両者は強い連携を取りました。列車に大量の電信柱とワイヤーを積み込み、線路沿いにどんどん柱を立てて電線を張っていくという、効率的な設置工事が行われました。
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つまり、腕木通信で行っていたことをそのままアップデートして洗練した形と考えることができます。
「エレクトリック・テレグラフとモールス信号」は急速に普及し、世界の国々も導入するようになりました。
※モールスが電気通信を発明したほぼ全く同じ時期(1830年代)に、イギリスでもクックとホイートストンという2人の発明家が独自の電気通信システムを開発していました。
「5針式電信機」と言います。イギリス国内ではこれが当初は普及していましたが、コスト面の問題でモールス信号に置き換わっていったという経緯があります。
こうして1850年代には、アメリカ大陸の陸上も、ヨーロッパ大陸の陸上も、それぞれ鉄道網と共に電線でまんべんなく覆い尽くされました。
ここで新たな問題が出てきます。
"陸の上は数秒で情報が伝わるのに、大陸間のやり取りだけは船で2週間かけて手紙を運ぶというアナログ通信になってしまう"問題です。
この問題を含め、ここから、「エレクトリック・テレグラフとモールス信号」は以下のような発展を遂げていきます。
## 【1.海を越える(海底ケーブル)】
陸上は鉄道沿いに電線が張られましたが、海には柱が立てられません。ヨーロッパとアメリカの間でやり取りするには、依然として「船で数週間かけて手紙を運ぶ」という古代のままのアナログ通信しかありませんでした。
「それでは、電線を防水にして海の底に沈めればいいのではないか?」という発想で、1850〜60年代に大西洋横断海底ケーブルが敷設されます。
これにより数週間かかっていた大陸間の通信が「数分」に縮まりました。人類史上初めて、地球規模のリアルタイムネットワークが完成しました。
## 【2.専門家から大衆へ(電話と交換機)】
モールス信号は画期的でしたが、「トントンツー」を打ったり翻訳したりするのには「専門の通信士」が必要でした。一般人が直接やり取りすることはできず、また「声の感情」を伝えることもできません。
1870年代、"声の振動を、そのまま電気の波に乗せて送る"という「電話」が発明されます。これにより、一般人が直接、リアルタイムで遠くの人と会話できるようになりました。
※電話の電線はモールス信号の時の電線からアップデートをする必要がありました。全くそのまま流用されたわけではないですが、既存のルートは活かされました。
電話が一般家庭にまで普及すると、「誰と誰の電線を繋ぐか」を切り替える「交換機」が発達します。
拠点で「交換手」と呼ばれる人間が、通話のたびに手作業でケーブルを抜き差しして回線を物理的に繋いでいました。中継地点で人が作業をしているようなイメージです。
## 【3.物理的な線からの解放(無線の誕生)】
電話の登場で通信は大衆化しましたが、それでも「物理的な電線(ケーブル)が繋がっている場所」でしか通信できないという制約がありました。海を移動している最中の船などは、依然として世界から孤立していました。
この物理的な線の限界を突破したのが、1890年代にマルコーニらが実用化した「無線通信」です。電線ではなく、空間を波として伝わる「電波」を利用することで、この問題を解決しました。
この技術自体は19世紀末に生まれましたが、世界中に爆発的に普及する契機となったのは、20世紀に入ってから起きた「タイタニック号の沈没事故(1912年)」です。
航海中に氷山に衝突した豪華客船タイタニック号は、絶望的な状況の中、搭載されていた無線機を使ってSOSの電波を発信し続けました。その電波をたまたま受信した別の客船(カルパチア号)が急行したことで、結果的に700名以上の命が救われることになったのです。
この救出劇によって、「物理的な線が繋がっていなくても助けを呼べる」という無線技術の価値が世界中で決定づけられ、すべての船への無線搭載が義務付けられるなど、一気に普及していくことになりました。
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# [20世紀前半〜中頃 情報の数学化とコンピューターの夜明け]
電話が爆発的に普及した結果、「誰と誰を繋ぐか」を切り替える電話局の交換手(人間)が完全にパンクしてしまいました。
人間の手作業の限界を突破するため、電気の力でガチャンと自動でルートを切り替える「自動交換機(無数のON/OFFスイッチの集合体)」が開発されます。
※自動交換機が発明されたのは1890年代(19世紀末)ですが、それが世界中の電話局に本格的に導入され、普及していったのは1910年代〜1920年代(20世紀前半)です。
この電話の自動交換機の「仕組みと部品」を見た当時の数学者や技術者たちは、
「ON/OFFという2つの状態を使えば、数学の計算ができるのではないか?」
と考えました。
この発想から、電話のスイッチと同じ部品を何千個も繋ぎ合わせて、計算を行う巨大な機械が作られました。これがコンピューターへとつながっていきます。
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## 【理論的観点】
・10進法
→
「0〜9までの10個の数字を使い、10集まったら次の桁に繰り上げる」という数学の基本ルールです。
古代から徐々に発達していき、16世紀~19世紀に世界標準のルールになりました。
・2進法
→
「0と1の、2つの数字だけで、すべての数を表現する」という数学のルールです。
17世紀のドイツの数学者/哲学者のゴットフリート・ライプニッツが「0〜9の10進法を使わなくても、0と1だけで無限に数を数えられる」ことを数学的に証明しました。
しかし、彼自身は数学的な実用性ではなく、哲学や神学の視点を重視していました。
実務面でも特に使われることはない概念でした。
| 10進法 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
| :------- | :-: | :--: | :--: | :---: | :---: | :---: | :---: | :----: | :----: | :----: |
| 2進法 | `1` | `10` | `11` | `100` | `101` | `110` | `111` | `1000` | `1001` | `1010` |
・ブール代数
普通の数学は、「1+1=2」のように「量」を計算して解くものです。
しかし19世紀に、イギリスの数学者ジョージ・ブールが、言葉の曖昧さをなくし「人間の思考や条件」を数式として表現する新しい数学を作りました。
この数学では、数字の代わりに「条件を満たしている(True=1)」と「条件を満たしていない(False=0)」の2つだけを使います。
そして、足し算や掛け算の代わりに、以下のような「論理の計算ルール」を使います。
AND: 両方の条件が「1」の時だけ、答えが「1」になる。
OR: どちらか一方の条件でも「1(正しい)」なら、答えが「1」になる。
たとえば、「チケットを持っている」AND「列に並んだ」=「入場できる」という日常のルールを、この数学では「1 AND 1 = 1」という数式として計算します。
### | 整理 |
・2進法: 0と1だけで「数を数える・計算する」ための数学ルール。
・ブール代数: 0と1だけで「人間の言葉の論理」を表現するための数学ルール。
0と1だけを使用して計算するという共通点がありますが、どちらかがどちらかを意識して誕生したわけではありません。
この2つは交わることのない別々のジャンルの学問でした。
しかし20世紀に入り、この「どちらも0と1だけで構成されている」という共通点が、電話局の「ON/OFF」のスイッチと結びつくことになります。
当時、一般家庭に電灯のスイッチは存在していたためON/OFFという概念が珍しかったわけではありません。
・家のスイッチ: 人間が手で押すだけ。それぞれが独立していて、ただ電気が流れるか止まるかだけ。
・電話局のスイッチ: 人間が手で押すのではなく、「もし〜なら、繋ぐ」といった条件に合わせて、無数のスイッチ同士が勝手に連動して動く仕組み。
この電話局の「条件で連動する仕組み」を見た技術者たちが、「0と1の数学的理論をそのまま物理的に適用できるのではないか」と着想を得た、という流れになります。
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こうして誕生した巨大な計算機は、当初は主に「数字の計算(弾道の計算や暗号解読など)」に使われていました。
しかし1948年、アメリカの数学者クロード・シャノンが、大きな発表をします。
「あらかじめルールさえ決めておけば、数字だけでなく、文字も、音声も、画像も、すべての情報は『0と1の組み合わせ』だけで表現できる」
ということを数学的に証明しました(情報理論)。
これにより、通信やデータの世界に「ビット(bit)」という新しい単位が誕生しました。
シャノンのこの発見によって、計算機はただの「計算ツール」から、あらゆるデータを0と1で処理できる「万能の情報処理マシン(現代のコンピューター)」へと進化していくことになります。
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#### ※クロード・シャノン
ビットの概念を提唱したのがクロードシャノンでしたが、前述の計算機の誕生にも関係しています。
・計算機の基礎の証明(1937年)
「電話局のスイッチのON/OFFと、ブール代数の論理が完全に一致する」という事実を数学的に証明したのは、大学院生だったシャノンでした。彼の論文によって、職人のカンに頼っていた機械作りが「数学的な設計」へと変わり、巨大な計算機を生み出すための土台が完成しました。
・ビットの誕生(1948年)
その約10年後、彼は「情報理論」を発表し、「すべての情報を0と1(ビット)で表現できる」と証明しました。
つまり、現在のコンピューターを動かしている「0と1の物理的な回路(ハードウェアの基礎)」も、そこで処理されている「0と1のデータ(ソフトウェアの基礎)」も、シャノンの論文が関係しています。
#### ※さらに補足 ジョージ・スティビッツ
電話会社の現場技術者だったジョージ・スティビッツは会社のゴミ捨て場(スクラップ置き場)から、廃棄された電話交換機の部品を自宅に持ち帰り、簡易的な計算機を作成しています。
これは、クロード・シャノンが「電話のスイッチで論理計算ができる」という論文を発表したのと、同じ1937年の出来事でした。
「技術が熟すと、全く別の場所にいる人物が、同じことを思いつく」という現象がよく起こります。
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# [20世紀後半:インターネットと光回線]
電話局のスイッチから誕生した計算機は、以下のようなアップデートを重ねていきます。
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1.リレー(継電器)の時代: 物理的なスイッチ
初期の計算機は、電話局で使われていた「リレー」という部品を使っていました。
これは、電気が流れると磁石の力で金属の板が「カチャッ」と動いて線が繋がり(ON=1)、電気が止まると板が離れる(OFF=0)という仕組みです。
金属の板が物理的に動くため、「カチャ、カチャ」と動くスピードに限界(1秒間に数十回程度)がありました。
2.真空管の時代(1940年代〜): 電子のスイッチ
「もっと速く計算(ON/OFFの切り替え)をしたい」という要求から、リレーの代わりに「真空管」が使われるようになりました。
電球のようなガラス管の中で、電気(電子)の流れをコントロールしてON/OFFを切り替える部品です。
金属の板がカチャカチャ動く物理的な動作がなくなり、「電子の流れだけ」でスイッチを切り替えられるようになりました。これにより、スイッチの切り替えスピードが数千倍に跳ね上がりました。
しかし、大量に電気を使い、猛烈な熱を発し、すぐ球切れして壊れるという問題がありました。
3.トランジスタの時代(1950年代後半〜): 魔法の石
真空管の弱点をすべて克服したのが、1947年に発明された「トランジスタ(半導体)」です。
仕組みとしては真空管と全く同じ「電子のスイッチ(0と1の切り替え)」ですが、真空管のように熱くならず、圧倒的に小さく、消費電力も少なく、壊れないという魔法のような部品でした。
4.現代のIC(集積回路)へ
1960年代以降、この小さなトランジスタを、さらに顕微鏡レベルまで小さくして、1枚の小さなシリコンの板(チップ)の上に何千、何万、何十億個と詰め込んだのが「IC(集積回路)」や「CPU」です。
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この流れを見ると、「スイッチのON/OFF(0と1)」であるという根本的な仕組みは共通しており、『いかに早く切り替えるか/スイッチを小さくできるか』にフォーカスしてアップデートしてきたことが分かります。
※コンピューターという言葉の起源
もともと「コンピューター」とは機械のことではなく、「人間の職業名(計算手)」でした。
「Compute(計算する)」に「-er(〜する人)」をつけたもので、「計算を職業とする人間」のことを指していました。
大砲の弾道の計算や暗号解読など、複雑な数式をひたすら手計算で解く数学者や事務員たちの役職名が「コンピューターさん」だったのです。
1940年代に登場した巨大な機械が、それらの仕事をそのまま代替したため、役職名ごと「コンピューター」と呼ばれるようになりました。
## 【既存の「電話システム」との衝突とインターネットの誕生】
このように進化を遂げたコンピューターですが、ここまでは、1台で独立して動いていました。
ここから、「離れた場所にある別のコンピューターとデータをやり取りする」という機能のアップデートを試みます。
そこで、すでに世界中に張り巡らされていた既存のインフラである「電話の線」をそのまま流用して、コンピューター同士を繋ごうとしました。
しかし、ここで大きな問題が発生します。
既存の電話システムは、あくまで「人間の会話」のために作られた仕組み(回線交換方式)だったからです。
人間の電話(回線交換): AさんとBさんが話すとき、電話局のスイッチが働き、2人のためだけの「1本の専用線」をガチャンと繋ぎっぱなしにします。人間は沈黙している時間も含めて、なだらかに言葉を交わし続けるため、この仕組みが最適でした。
コンピューターの通信: 普段は何も送らないのに、送るときだけ「一瞬で大量の0と1(ビット)をドバッと送る(バースト性)」という特性があります。
この全く異なる性質のものを無理やり繋いだ結果、コンピューターがデータを送っている間、電話の回線が完全に占有されてパンクしてしまいました。
さらに、この仕組みでは、繋がっている電線の「どこか1箇所」でも物理的に切れてしまうと、その時点で通信全体が遮断され、送っていたデータもすべて壊れてしまうという致命的な弱点もありました。⇩※補足
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### | 人間とコンピューターの違い |
人間の会話の場合:
もし電話中に回線が切れても、もう一度電話をかけ直して「ごめん、切れちゃった。さっきの話の続きだけど…」と言えば、人間が文脈を補完してすぐに会話を再開できます。
コンピューターのデータの場合:
画像やプログラムのデータは、「意味を持った0と1の完璧な並び順」で構成されています。例えば、1時間のデータを送っている最中に、残り1分のところで回線がプツッと切れたとします。
受け取った側のコンピューターには「99%分の0と1の羅列」が残りますが、コンピューターは人間のように「さっきの続きから」と空気を読むことができません。不完全なデータは「ただの壊れた意味不明なファイル」として処理され、また最初(0%)から全てのデータを送り直さなければなりません。
### | 中央集権型の弱点と冷戦という背景 |
当時の電話網は、各家庭や拠点の線が「巨大な電話局(交換局)」という中央のハブに集まる、中央集権型のネットワークでした。
・ミサイルが首都の『巨大な電話局』に1発でも落ちたらどうなるか
→その電話局を経由するすべての専用線が機能しなくなり、国中のコンピューター通信が麻痺する。
これを防ぐために、中央のハブをなくし、拠点同士を網目状に繋ぐ「クモの巣状のネットワーク(物理的な道)」が考えられました。
しかし、いくら網目状の道を作っても、「1本の専用線を繋ぎっぱなしにする」という旧来のルールのままでは、通信中に専用線が破壊されれば通信は途切れてしまいます。
「物理的なクモの巣の道」を活かすためには、道が途切れても自動で迂回して進み続けることができる「新しいソフトウェアのルール」が必要でした。
つまり、物理面とルール面の両方でアップデートが必要でした。
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「人間のための電話の仕組み」のままでは、コンピューター同士の通信を支えることはできません。
これを解決するために生まれたのが、新しい通信のルール、「パケット通信」です。
## 【ソフトウェアの革命:パケット通信】
1960年代、「仮にどこか一部の回線が破壊されても、自動で迂回して目的地に届く、絶対に止まらないクモの巣状のネットワーク」の開発が始まりました。
この開発において、「データはすべて0と1の数字の羅列である」が重要なポイントとなってきます。
数字の羅列であるならば、わざわざ1本の長いデータをそのまま送る必要はありません。
大きな画像や文書のデータ(0と1)を、細かく切り刻んで小さな小包(パケット)に分割してしまえばいい、という逆転の発想が生まれました。
切り刻まれた無数の小包(パケット)の先頭には、「これは〇番目の小包」「目的地は〇〇」という宛名ラベル(これも0と1)が貼られます。
この小包たちをネットワークに放り込むと、それぞれの小包はクモの巣のような通信網の「その時空いている別々のルート」をバラバラに進んでいきます。
そして、目的地のコンピューターにすべての小包が到着したとき、受け取った側が宛名ラベルの番号順にパズルのように組み立て直すことで、元の正確なデータへと復元されます。
つまり、バラバラに送り届け、受信した先で再構成しているようなイメージです。
「回線を繋ぎっぱなしにする」のをやめ、「データをバラバラの小包にして送り、到着後に再構成する」。
このパケット通信の発明により、旧来の電話網が抱えていた弱点は克服されました。
・中央集権型の弱点克服: どこか1本の回線が破壊されても、小包たちは勝手に別のルートを迂回して確実に目的地へ届きます。
・データ通信の弱点克服: もし途中で小包が1つ壊れたり迷子になったりしても、「7番の小包だけもう一度送って」と要求でき、重いデータを最初からすべて送り直す必要がなくなりました。
#### ※補足
パケット通信が適用されたのは「コンピューターのデータ通信」だけでした。
人間が電話をする電話回線については、従来の中央集権型(すべての線が中央の電話局に集まる)、回線交換方式(通話が終わるまで専用線を貸し切る)がそのまま使用されました。
## 【ハードウェアの革命:光ファイバー】
パケット通信という「ソフトウェア(ルール)」の仕組みが整うと、今度は「世界中を行き交う膨大な0と1の小包を、どうやって物理的に速く、大量に運ぶか」という「ハードウェア(インフラ)」の問題に直面します。
それまでは、モールス信号の時代から続く「金属の電線を流れる電気のON/OFF」に頼っていました。しかし、世界中のコンピューターが送り出す天文学的なデータ量を運ぶには、銅線では物理的な限界を迎えていました。
そこで1970年代以降に登場したのが、「電気」を「光」に置き換える技術、「光ファイバー」です。
かつてモールス信号は「手元のスイッチで電気を流す(ON)か止める(OFF)」でした。
その後発展していった電話局の自動交換機やコンピューターも「スイッチがONかOFFか」でした。
光ファイバーは、この仕組みをそのまま「光が点滅している(ON=1)」「真っ暗(OFF=0)」という、光のスイッチに置き換えたものです。
髪の毛よりも細いガラスの繊維(光ファイバー)の中で、レーザー光線を1秒間に何億回という超高スピードで点滅させることで、0と1の信号をそのまま送ります。
この光ファイバーを束ねた太いケーブルが、現在、海底ケーブルとして地球上のすべての大陸を繋ぐ「物理的な大動脈」として張り巡らされています。
コンピューターがリレー⇒真空管⇒トランジスタ⇒集積回路とアップデートしたのと同じ考え方を、設備に応用したようなイメージで捉えると分かりやすいです。
共通しているのは「コアの仕組みは変えずに、洗練させていった」という点です。
パケット通信というデジタルなルールと、光ファイバーという物理的なインフラが合体したことで、人類は「光の速さで、地球の裏側まで一瞬で0と1のデータを届ける地球規模のネットワーク」を完成させました。
## 【情報のリンクと蓄積:WWW(ウェブ)の誕生】
パケット通信と光ファイバーによって、地球規模で0と1をやり取りする「情報の道路網」は完成しました。しかし、1980年代までのインターネットは、一部の大学や軍事機関の研究者たちがデータを送り合うための、専門的で閉ざされた世界でした。
この状況を一変させたのが、1990年代に誕生した「World Wide Web(WWW)」という仕組みです。(ソフトウェアのルール)
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### | WWWを構成する具体的な仕組みの例 |
1.文書の書き方(HTML)
WWWで公開するための形式、及び、指示を書き込むための専用の言語です。
「ここは見出し」「ここに画像を貼る」「この単語に別のページへの『リンク』を埋め込む」といった装飾を施すことができます。
WebサイトはすべてHTMLで構成されるというのが大原則です。
2.データの住所(URL)
「`https://www.〇〇.com/〜`」という文字列です。リンクをクリックしたときに、地球上のどのコンピューターの、どの階層にあるデータを呼び出せばいいのかを指定するための住所の仕組みです。
3.やり取りのルール(HTTP)
ユーザーがリンクをクリックした瞬間、ユーザーのスマホが「その住所にある文書をください」と要求し、相手のコンピューターが「はい、どうぞ」とその文書データを送り返すための、通信のルールです。URLの先頭についている「http」はこれを指しています。
### | インターネットとWWWの違い(イメージ) |
インターネット(光ファイバーとパケット通信):
地球上に敷かれた「道路」と、そこを走る「トラック」です。
WWW(ウェブ):
その道路の脇に建てられた「お店(ウェブサイト)」と、お店から別のお店へ一瞬で移動できる「ワープ扉(リンク)」の仕組みです。
1980年代までのインターネットは、「道路」はあるものの、相手のコンピューターのIPアドレス(住所のようなもの)を直接打ち込んで、ファイルを1つずつ転送するような、専門家だけの閉ざされた世界でした。
そして、1990年代、WWWという「文字を装飾して、リンクで他の文書にジャンプできる仕組み」が発明されました。
※日本語訳
Web=クモの巣
World Wide Web=世界中に広がるクモの巣
「World Wide Web」を略してWWW(ダブリュー・ダブリュー・ダブリュー)と呼びます。
しかし、これだと長く発音もしづらいので、WWWと記載して「ウェブ」と読んだり、最後の単語を持ち出してWeb(ウェブ)とすることが一般的です。
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Webの最大の発明は、文字や画像に「リンク」を埋め込めるようにしたことです。ある文書の中の単語をクリックすると、地球の裏側にある別のコンピューターに保存された関連文書に一瞬でジャンプできる。この仕組みによって、世界中のバラバラな情報が「クモの巣」のように結びつき始めました。
この仕組みを利用して情報を公開する場所がWebサイトです。
これにより、専門家だけでなく、世界中の一般企業や個人までもが、自らの知識、日常の記録、創作物などをデジタル化し、インターネットの海に放り込んで公開するようになりました。
インフラ(光ファイバー)の上に、誰もが簡単に情報を繋ぎ合わせられる仕組み(Web)が乗ったことで、インターネットは一部の専門家のツールから「人類の共有財産」へとアップデートしました。
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# [21世紀:個人への普及、モバイル回線とワイヤレス化]
## 【光回線の普及】
Webサイトが普及し、誰もがインターネットに参加するようになると、「高画質な写真」や「動画」といった大きなデータ(0と1の小包)が大量にやり取りされるようになります。
「光ファイバー」というインフラ自体は、1980年代の時点ですでに地球規模で完全に実用化されていました。しかし当時は都市と都市を結ぶ大動脈にしか使われておらず、一般家庭への通信は昔ながらの細い銅線(電話線)でした。
それが2000年代に入り、個人の扱うデータ量が増え、銅線では渋滞してしまう限界が訪れました。これを解決するため、光ファイバーが個人の家のルーターにまで直接引き込まれるようになります。これが、現在私たちが利用している「光回線」です。
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1.1990年代後半:電話線の時代(ISDN)
Webサイトが誕生したばかりの頃です。当時のデータは「文字」と「粗い画像」くらいだったため、昔ながらの細い銅線(電話線)で接続する通信で十分間に合っていました。
2.2000年代前半:銅線の限界(ADSL)
個人のネット利用が当たり前になり、「もっと速くしたい」「時間を気にせず繋ぎっぱなしにしたい(常時接続)」という需要が爆発しました。
しかし、全国の家に光ファイバーを引くのはまだコストが高すぎました。そこで、「今ある電話線(銅線)に、人間の耳には聞こえない高い周波数の信号を無理やり流し込んで、擬似的に高速化する」という力技の技術が普及しました。これが「ADSL」です。
3.2000年代後半〜:光回線の普及(FTTH)
2005年に「YouTube」が誕生したことが決定的なターニングポイントになります。
動画という巨大なデータ(小包の山)が飛び交うようになり、ついにADSL(限界まで頑張った銅線)でも頻繁に動画が止まるなどのパンク状態を迎えました。ここでついに、コストをかけてでも光ファイバーを個人の家まで直接引き込む工事が一般化し、「光回線」が普及していきました。
#### ※補足:それぞれの用語と技術
・ISDN=Integrated Services Digital Network(統合サービスデジタル通信網)
→
ISDNが登場する前の「ダイヤルアップ接続」は、コンピューターのデジタル信号をわざわざ「音声」に変換してアナログの電話線に流していました。電話かインターネットのどちらか片方しか通行できなかったため、ネット中は家の電話が話し中になってしまうという致命的な弱点がありました。
ISDNは、銅線の設備はそのままに、信号をデジタルのまま送受信できるようにした技術です。これにより、「インターネットでウェブサイトを見ながら、同時に家の電話で通話する」という、当時としては画期的な並行作業ができるようになりました。
・ADSL=Asymmetric Digital Subscriber Line(非対称デジタル加入者線)
→
電話で話すときは、人間の声の「低い音域(低周波数)」しか使っておらず、電話線が通すことのできる「高い音域(高周波数)」の帯域はガラ空きでした。ADSLは、この「人間の耳には聞こえないガラ空きの音域」に、大量のインターネットのデータを流し込むという手法をとりました。
さらに、ADSLの「Asymmetric(非対称)」という名前が示す通り、アップロード(上り)の通信枠を抑え、その余分をダウンロード(下り)のスピードに回しました。一般の人はWebサイトを「見る(ダウンロードする)」ことが圧倒的に多いため、この仕様が完全にマッチしたのです。しかしながら、要するに、既存のシステムを使った苦肉の策と考えることもできます。
・FTTH=Fiber To The Home(家庭までの光ファイバー引き込み)
→
意味はよりダイレクトで、裏側で使用していた光ファイバーを家庭まで伸ばしたということです。技術的にはもっと早く普及させたかったはずですが、全国のインフラを物理的に入れ替えるコスト面のハードルがあったため、ADSLというクッションを挟まざるを得なかったのではないかと考えます。
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## 【モバイル通信の進化とインフラの融合】
家の中の回線が強化される一方、外に持ち出せる通信手段も劇的な進化を遂げます。20世紀末に誕生した携帯電話のネットワーク(1G)は、3G、4G、5Gと進化し、ついに「動画を外でスムーズに見られる」レベルにまで到達しました。
モバイル通信の歴史は、おおよそ10年ごとに大きな技術革新が起きており、その世代(Generation)の頭文字をとって「G」と呼ばれています。
### | モバイル回線(1G〜5G)の進化の歴史 |
モバイル回線の歴史は、最初はインターネットとは無関係な「単なる持ち運べる電話」としてスタートし、後からインターネット(データ通信)と合流していきました。
・1G(1980年代):アナログの時代
インターネットとは無関係な、「声」をそのまま電波に乗せて届ける技術として誕生しました。
実は「電波で声を飛ばす」こと自体は、軍用の無線機などで昔からできていました。1Gは、その無線の電波を街角のアンテナでキャッチし、「既存の固定電話のネットワーク(銅線)」に直接繋ぎ合わせました。
"Aさんの携帯---電波---固定電話の銅線---電波---Bさんの携帯"
ただし、空間に電波を飛ばすには大きな電力が必要だったため、当時の携帯電話は巨大なバッテリーを積んだ「肩掛けカバンサイズ」にならざるを得ず、一部のビジネスマンしか持てない高級品でした。1Gでは電話機能のみです。
・2G(1990年代):デジタル化とメールの誕生
音声を0と1のデジタルデータに変換して送るようになり、通信の無駄が減って端末が小型化しました。ここで初めて「文字(メール)」や「簡単なWebサイト(iモードなど)」が外で見られるようになり、持ち運べる電話がインターネットの世界と繋がり始めました。
"音声もデータもビット化して通信した"ということです。
・3G(2000年代):世界基準と画像の時代
世界中で通信規格が統一され、通信速度もアップしました。携帯電話にカメラがつき、「写真(画像)」をメールに添付して送れるようになったほか、初期のスマートフォンの土台にもなりました。
日本では2001年に始まり、2000年代後半にかけてスマホ黎明期を支えました。
・4G / LTE(2010年代):スマホ社会の完成
通信速度が飛躍的に上がり、「動画を外でスムーズに見られる」レベルに到達しました。
2010年代前半に普及し、動画視聴やSNSが当たり前になりました。
・5G(2020年代〜):あらゆるモノが繋がる時代
「超高速」「多数同時接続」「超低遅延」を特徴とし、人間だけでなく、自動運転の車や工場のロボット、家電など「あらゆるモノ」が同時にインターネットに繋がる(IoT)ための次世代インフラです。
2020年から商用サービスが開始され、現在はIoTの基盤として定着しつつあります。
※3G~5Gの進化はいかに大容量に/早く通信することができるか、という方針でのアップデートと考えると分かりやすいです。
### | 移動しても途切れないセルラー方式 |
携帯電話が世界中に普及した背景には、「セルラー方式」という画期的なアイデアがありました。英語で携帯電話を「Cell phone(セルフォン)」と呼ぶのはこれに由来します。
昔の無線通信は、巨大な鉄塔から強力な電波を遠くまで飛ばしていましたが、これではすぐに電波が混線してしまうという問題がありました。
そこで、街全体を「小さな六角形のエリア(Cell=細胞)」に分割し、それぞれのエリアに小さなアンテナ(基地局)を置くことにしました。ユーザーが移動すると、スマホが自動的に「隣のアンテナ」へとバトンタッチしていくため、電波が混線することなく、どこまでも途切れずに通信できるようになったのです。
つまり、中継地点を作ったようなイメージです。
### | 電波と有線(光)のハイブリッド |
スマホから飛んだ電波は「最寄りの小さなアンテナ(基地局)」までしか飛んでいません。
そこから先は、地下や海底に張り巡らされた「光ファイバー(有線)」に合流して、地球の裏側まで運ばれています。空間を飛ぶ「電波」は混雑しやすいため、長距離の大量輸送には裏側の光回線のネットワークが必要になります。
1Gの時と基本構造は同じで、これを洗練してアップデートしていったのが現代のモバイル通信の形と言えます。
"Aさんの携帯---電波---光通信網---電波---Bさんの携帯"
※補足:Wi-Fiとモバイル通信(4G/5G)の違い
・Wi-Fi:有線で引き込んだ通信回線とルーターを接続して、ルーターから限られた範囲内で電波として飛ばす。
・モバイル通信:スマホと最寄りの基地局が電波で通信する。
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# [人工知能へ]
ここまでのインフラの完成により、人類は「誰もが世界中の情報に常時接続できる端末をポケットに入れて持ち歩く」というフェーズへ到達しました。
世界中の人々が毎日ウェブサイトを更新し、検索し、リンクを辿ることで、ネットワーク上には膨大な量の人間の言語や思考パターン(0と1のデータ)が蓄積されていくことになります。
これがAIが知能を獲得するための「学習データの海」となっていきました。
## 【インフラがなければ、AIは生まれなかった】
ここで重要なのは、どれだけ優秀なAIのプログラムを作っても、読み込ませる膨大なデータ(ネット上の文章や画像)がなければ、AIはただの空っぽの箱に過ぎないということです。
・地球の裏側まで一瞬でデータを運ぶ「光ファイバー」
・世界中の情報を整理し、誰でも見られるようにした「WWW(ウェブ)」
・24時間データを生み出し続ける「モバイル通信とスマホ」
など
古代からの"情報と通信技術のアップデートの連なり"が現代のAI開発へとつながっていきます。
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